今は午前2時のベッドのうえ。
かれこれ4ヶ月前の今日、わたしは当然の激しい頭痛に襲われ、救急搬送されました。
その日は朝から頭痛がしていましたが、市販の頭痛薬を飲み、なんとかお昼まで仕事。お昼休みに近所のクリニックへ行って、市販薬を服用したことを伝えたうえで追加の頭痛薬を処方してもらいました。
しかし、一向に効きません。それどころか頭痛はますますひどくなり、ついに座ってもいられなくなりました。頭を両脇から締め付けられるような激痛で、今までに経験したことのない痛みでした。
車で30分ほどの距離に住む姉に電話をし、病院まで送ってもらえないかと頼みましたが、午後5時くらいでまだ仕事中でした。症状を伝えると、姉は救急車を呼ぶようにと言いました。
激痛の中「迷惑ではないだろうか」などという思いがよぎりつつも、すでに指先は硬直して番号を押すこともままならなくなっていることに気がつき、119番。
救急隊の方を待っている間、どんどん状況は悪化していきました。手足が硬直してきたため、なんとかドアだけでも開けられるようにと玄関まで這っていきました。
ついに救急隊の方々が到着。そのとき体は硬直していて動かず、涙で目は開かず、呼吸が苦しくて、意識は朦朧としていました。最近ストレスを感じていたかどうかを聞かれ、仕事で強いストレスを抱えていたと伝えたことを覚えています。
病院に着いたのはかろうじて分かったものの、どんどんと体が硬直していって、ついには肺やお腹のあたりも締め付けられるように硬直してきたのがわかりました。
次の瞬間、遠くでベッドサイドモニターのアラームが鳴り響き、たくさんの人がバタバタと走り始めたのが聞こえた気がしました。
そこで、わたしの呼吸は止まったそうです。
突然意識が戻ったとき、そばに姉と甥がいるのが分かりました。
わたしは、なぜかペンを握っていたのですが、そのときはそれを疑問に思うこともなく、ひたすら必死に会社と交際している彼への連絡を頼みました。
特に彼とはお昼休みの後に電話をしていて、頭痛がひどくなっているのを伝えていました。そのため、きっと連絡が取れなくてすごく心配しているはず。病院だから大丈夫って伝えなくちゃと必死の思いでペンを動かしたことを覚えています。
そして、「分かった、大丈夫だよ」という言葉を聞いて、わたしの意識はなくなりました。
次に意識が戻ったとき、わたしは自分が病院の部屋にいるのだと認識しました。
次の瞬間、再び頭に激痛が走り、そして口に管が入っていることがわかりました。呼吸ができず、むせかえって変な音がずっとなっていました。とても苦しかった。
そして先生と看護師さんが駆けつけてくれて、チューブが外され、痛み止めが処方されました。
つらく痛く眠れない夜を過ごしたあと、やっと1時間ほど眠れたようでした。
翌朝、救急科、脳外科、神経内科の先生方がいらして、搬送直後に呼吸が停止したため人工呼吸器が取り付けられたこと、脳卒中が疑われたためCT、MRI、髄液検査など様々な検査が行われたことを教えてくれました。
検査の結果、今すぐ手術を要する命に関わる問題は見つからなかったということでした。ちょうどわたしが運び込まれたときに脳外科の部長さんがいらっしゃったそうで、検査結果を隅々まで直接確認してくださったと聞いたときは、幸運に心から感謝しました。
その後、脳波の検査などを受けましたが、それでも原因はわかりませんでした。
わたしは、ICUに3日間入院しました。
その後診察を受ける中で、あらためてストレスについて聞かれたため、当時の職場の状況についてお話ししました。その頃わたしは、上司のハラスメントにより、レポートラインの変更と配置換えを会社と調整していました。(これについてはまた別記事にします)
あらゆる検査で問題は認められなかったこと、トラウマになるほどのストレスがかかっていたことから、心因によるところが大きいという見解が示されました。
そこからわたしは、神経内科とメンタルヘルス科両方の受診を続けています。
あれから4ヶ月。今は服薬によって頭痛は抑えられています。カウンセリングによって、心の傷は少しずつ落ち着いてきたように思います。
今でも、あのとき救急車を呼んでいなかったら…と思うと本当に怖いです。家で呼吸が止まっていたら、数分で脳に酸素がいかなくなり、やがて心臓が止まってしまいます。
誰にも気がついてもらえないまま、愛する人に会えないまま、さよならをしなければならなかったかもしれません。
命ほど大切なものはない。わたしは会社を辞めました。